二科展で心の安らぎ
9/12六本木の国立新美術館で開催されている二科展に行ってきた。以前ブログに掲載した女子美術大学の永田治子さんと永田さんの先生である津田裕子先生から招待状を頂いた。朝一番で美術館に入り、ゆっくりと絵画や彫刻、デザイン、写真を見させていただいた。やはりこうして芸術に触れていると心が安らぐ。自分も昔は芸術家になりたいと思っていた時期があった。幼稚園の頃より絵画教室に通い、中学まで続けたが、才能が無いことを自覚して芸術の道に進むことをあきらめた。30歳になって、また少しはデザインについて再度勉強したいと思い桑沢デザイン研究所の夜間に入学。年齢層が広く、デザインの考え方もまちまちで、とても楽しい時間を過ごしたことを思い出す。
まずは永田さんの絵を見なければと。いつも思うがこの絵の前に来ると、とても気持ちが良くなる。すがすがしい気持ちになると言ったらいいのだろうか。永田さんは、とても心優しい人なので、その人となりが絵にも現れていると思う。永田さんの絵の中の人物が気になるくらい、優しい顔をしている。
絵画を見終わって、彫刻のコーナーへ行った。津田先生の作品を見るため。わー今年は宙を舞ってる。津田裕子先生の作品は、毎年オーラを放っているので、遠くからでもすぐにわかる。津田先生の作られる女性は、妖艶で色気とちょっと怖いくらいの細身で目で何かを語りかけてくる。今回の作品も遠くから見ていると、奇抜なアイデアだなーと思っていたが、近くに寄ってみると両手を広げて、身体をひねって、こちらへ向かってくるようで、少し後ずさりした。鬼気迫る物がある。やっぱり津田先生はすごい!単なる芸術家と言ってはいけない気がする。とにかく彫刻が生きていると思うくらいの迫力がある。
屋外にも彫刻が展示されていたので外に出ると、すごく繊細で静けさを持った手水鉢のような彫刻があった。仕事柄これを庭に置いたらきっと、この彫刻も活きるだろうなと思ってみることが多い。この彫刻は、まさにそんな作品であった。モダンな和風庭園の中で、砂の上にこの水鉢がポンとおかれているだけで絵になる。
そういえば、いつも工藤静香さんは、絵がうまくなったかな?と思いながら見ているが、今年は昨年までと違い、すごく絵に迫力があった。うまくなったと言えば、とても失礼だが、何かをつかんだのか、何かが下りてきたのか、とにかく核分裂を起こしていた。写真は撮らなかった。
二科展で心の安らぎ
9/12六本木の国立新美術館で開催されている二科展に行ってきた。以前ブログに掲載した永田治子さんと永田さんの先生である津田裕子先生から招待状を頂いた。朝一番で美術館に入り、ゆっくりと絵画や彫刻、デザイン、写真を見させていただいた。やはりこうして芸術に触れていると心が安らぐ。僕も昔は芸術家になりたいと思っていた次期があった。幼稚園の頃より絵画教室に通い、中学まで続けたが、才能が無いことを自覚して芸術の道に進むことをあきらめた。30歳になって、また少しはデザインについて再度勉強したいと思い桑沢デザイン研究所の夜間に入学。年齢層が広く、デザインの考え方もまちまちで、とても楽しい時間を過ごしたことを思い出す。
まずは永田さんの枝を見なければと。いつも思うがこの絵の前に来ると、とても気持ちが良くなる。すがすがしい気持ちになると言ったらいいのだろうか。永田さんは、とても心優しい人なので、その人となりが絵にも現れていると思う。永田さんの絵の中の人物が気になるくらい、優しい顔をしている。
絵画を見終わって、彫刻のコーナーへ行った。津田先生の作品を見るため。わー今年は宙を舞ってる。津田裕子先生の作品は、毎年オーラを放っているので、遠くからでもすぐにわかる。津田先生の作られる女性は、妖艶で色気とちょっと怖いくらいの細身で、目で何か語りかけてくる。今回の作品も遠くから見ていると、奇抜なアイデアだなーと思っていたが、近くで顔を見ると両手を広げて、こちらへ向かってくるようで、少し後ずさりした。鬼気迫る物がある。やっぱり津田先生はすごい!単なる芸術家と言ってはいけない気がする。とにかく彫刻が生きていると思うくらいの迫力がある。
屋外にも彫刻が展示されていたので外に出ると、すごく繊細で静けさを持った手水鉢のような彫刻があった。仕事柄これを庭に置いたらきっと、この彫刻も活きるだろうなと思ってみることが多い。この彫刻は、まさにそんな作品であった。モダンな和風庭園の中で、砂の上にこの水鉢がポンとおかれているだけで絵になる。
そういえば、いつも工藤静香さんは、絵がうまくなったかな?と思いながら見ているが、今年は昨年までと違い、すごく絵に迫力があった。うまくなったと言えば、とても失礼だが、何かをつかんだのか、何かが下りてきたのか、とにかく核分裂を起こしていた。写真は撮らなかった。
伊勢神宮 二見浦で会社のシンボルに出会う
おかげ横町を出てバスで8分ほどのところにある伊勢神宮の別宮の月読宮へ行った。ここは天照大神の弟神である月読尊(つきよみのみこと)が祀られている場所で、他に3つの尊が祀られている。
ここも不思議と落ち着く場所であったが、どこからか見られているような気がしたが、思い過ごしであったのだろうか?御伊勢さんの最後の場所二見へ電車で向かう。本当は朝日を拝むことが出来ればと思っていたが、外宮に朝5時に行くことにしたので当然ここに朝来るのは不可能であった。二見浦駅を出て二見輿玉神社へ向かう途中の夫婦岩表参道の旅館街を通ると3階建ての和風旅館が軒を連ねていた。なんとも懐かしい感じがしたのは、18歳の頃京都に一年間下宿先が、やはり木造3階建てであったので、なんだか懐かしく感じた。時間があれば寄りたかったが途中にある賓日館。ここはわずか2ヶ月半で建てたという伊勢神宮に参拝する賓客の休憩・宿泊施設である。時間があればと帰りに寄ろうと思っていたが、時間が押してしまって寄る事が出来なかったので、次回来たときは必ず訪問することにした。さてお目当ての夫婦岩が見えてきたが、思ったよりも岩が小さかったのと注連縄の長さが短く感じたのは、自分だけだっただろうか。鳥居から夫婦岩を望もうとしたら、カエルの置物がいっぱいあった。なんで海にカエル?猿田彦大神をお連れしたのがカエルらしいのですが、どうもしっくりしなかったが、わが社のシンボルがカエルなので何かの縁を感じた。やはりここに来るべくして来たのだろう。二見輿玉神社でカエルが水晶を抱えた鈴を買った。
これで伊勢神宮での旅を終え、仕事を再開したら、御利益なのか仕事がどんどん入ってくるようになったり、いろんな方から電話を頂くようになった。すごいお力を頂いたと思う。この仕事量をちゃんとやり遂げなさいと言うことだと思う。とにかく前向きに仕事をすること、自分がやらなければならない自分の理想の街づくりや絵本の出版に向けて前進あるのみ。
伊勢神宮 おかげ横町で招き猫
内宮の参拝が終わるとお腹が空いてきたので、おかげ横町で食事をしようと思ったが、まずはお伊勢様といえば赤福餅!これを食べずしてと思い赤福で餅をごちそうになる。お茶とよく合う。この日もかなり暑かったので、抹茶のかき氷を食べている人もかなりいた。注文をしていなくても、店員の方が、みんなにお茶を振る舞っていたのが、心に残った。江戸時代からのお伊勢さんに参拝に来られる方をすごく大事にしていたと書かれていたが、その気遣いは今もちゃんと残っている。ここに来られるお客様はすべて大切にしなければと言う、まさしくおかげ横町であった。吉兆招福亭さんで招き猫を購入というか、まさしく猫に手招きされて店内へ入ると、私を連れてってと右手を挙げて言うではありませんか。そこで金運を招く猫を買うと、隣で私もと言われ左手を挙げている人を招くと言われる猫さんも購入。そして我が事務所でこっちへ来いこっちへ来いと毎日呼んでもらっています。キセルの吸えるお店の前にかわいいキツネ?のおじさんがベンチで寝そべっていました。赤福餅だけでは、さすがにお腹が減ったので、とてもおいしいコロッケを豚捨さんでいただきました。とってもジューシーでしたね。これで満足したので、次は月読宮と二見浦へ。